本日2022年4月8日、岐阜市厚見地区境川畔南の閻魔堂の関ヶ原合戦前の乱闘橋古戦場史跡の地鎮祭を執り行いきました。この冬、境川の護岸工事中に出土した当時の痕跡を残す数々の石を引き上げることができました。
お釈迦様の生誕祭の吉日に、乱闘橋古戦場に眠る多数の御霊の供養と共に、石切神社の宮司様と後世に記録する史跡整備の祈りを神仏習合の儀式として執り行うことができました。みのおわりの供養が、弥勒の世への時の祈りとなりますように。
本日2022年4月8日、岐阜市厚見地区境川畔南の閻魔堂の関ヶ原合戦前の乱闘橋古戦場史跡の地鎮祭を執り行いきました。この冬、境川の護岸工事中に出土した当時の痕跡を残す数々の石を引き上げることができました。
お釈迦様の生誕祭の吉日に、乱闘橋古戦場に眠る多数の御霊の供養と共に、石切神社の宮司様と後世に記録する史跡整備の祈りを神仏習合の儀式として執り行うことができました。みのおわりの供養が、弥勒の世への時の祈りとなりますように。
ディルゴ・キェンツェ・リンポチェの4行の要決
བླ་མ་མ་བརྗེད་རྟག་ཏུ་གསོལ་བ་ཐོབ། །
lama ma jé tak tu solwa tob
上師を忘れることなく、常に上師に祈るように。
རང་སེམས་མ་ཡེངས་རང་ངོ་རང་གིས་ལྟོས། །
rang sem ma yeng rang ngo rang gi tö
心を乱すことなく、常に心の本質を見つめるように。
འཆི་བ་མ་བརྗེད་ཆོས་ལ་བསྐུལ་མ་ཐོབ། །
chiwa ma je chö la kul ma thob
死を忘れることなく、常にダルマの修行に励むように。
སེམས་ཅན་མ་བརྗེད་སྙིང་རྗེ་བསྔོ་སྨོན་གྱིས། །
semchen ma je nyingje ngo mön gyi
衆生を忘れることなく、常に慈悲の功徳を以て、菩薩の請願を掲げるように。
かごめの歌は、日本の霊的な意味が秘められている不思議な歌です。この歌は様々な読 み取り方があります。一説によるとこの歌は、ヘブライ語で読むことができるとも言われます。ここでは日本的霊性の密教的な視点から歌に隠された霊的な意味を説明します。
〜中略〜
かごめのシンボル六芒星には、十という完成の真理が秘められている。
それは夜明けと晩に開かれる霊的な世界とつながる時、
鶴と亀、八と六、天と地のエネルギーが一つの行として行じられることで、
エネルギー転換が起こる。
それが、徳という日本的霊性を開く修行、
あなた自身に内在している本質だ。
この「徳」という深い意味が、日本人の霊性の本質だと、直感的に理解できます。徳という霊的な意味には、深い大和心の本質が秘められているのです。
大和心が、ここでのテーマです。江戸時代の国学者本居宣長が日本の精神性を、大和心こそが重要なキーワードだと説きました。 本居宣長六十一歳の時、「敷島の歌」( しきしまのうた ) を読んで、その精神性を表現しています。
「しき嶋の やまとごころを人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花 」
大和心を論理的に表現することは難しいとされ、本居 宣長は敷島の歌でその精神の美しさを、山ざくらと表現したのです。
~中略~
大和心とは、あらゆる多様性を受け入れ、その中に調和を求める真心。それは言葉では表せず、倫理的にも表現できない、ハートとハート、霊性と霊性の融合、それは古代からの日本人の精神性、優しさ、思いやり、調和を本来の霊性として、様々な歌に詠まれてきました。この多様的精神の統合、調和と平和の霊性が、大和心なのです。
聖徳太子は、この倫理的に説明することが難しい大和心の精神性を、「神道と儒教と仏教」として説明されました。
理趣経の奥深さは、親鸞聖人の南無阿弥陀仏と同様に、世俗や自身の心が煩悩で汚れている為に、清める目的で理趣経を読むのではなく、本来清浄という境地に目覚めることを説くところです。般若経は、元々本来の空なる本質に気付くことを重要とし、自我の苦しみ、悲しみ、悩み、恐怖、それら全ての精神活動が、五蘊や六根十二処十八界が作りあげた虚妄の世界と捉えます。自分が作り出すエゴのフィルターを介すことなく、般若の覚醒意識にただ留まることが、空性の禅定です。
~中略~
チベット仏教では般若経に説かれる智慧の瞑想が、何も捉えらない青い空に喩えられるように、その広大な空間と意識空間は同等と見ます。青い空に雲が現れても、それは常に生々流転し、一瞬も留まることなく、来ては去ってゆくものです。その雲は、私たちの心に去来する思考そのもの、雲を追うことなく、青い空間をただ見つめること、密教ではそれが意識の本質そのものだと理解します。
この広大な空間を仏教では、法界 (ダルマダートゥ)と言います。
霊咊の公案 3)
日本的霊性と言いますと、禅宗系仏教学者鈴木大拙の名著があります。
私が本書で語る日本的霊性は、鈴木大拙の語る日本的霊性とは対極の視点を持っています。本書で語る日本的霊性は、鈴木大拙が触れなかった修験道や密教の視点に光を当て、神道と顕密仏教の関係性、神仏習合や本地垂迹という日本の神々の視点から、明治の廃仏毀釈後の民衆への霊示を含む日本的霊性を取り上げています。
~中略~
神仏習合の古神道、修験道においても、般若心経を唱えるからこそ、神様や仏様、様々な霊体が活き、その霊力が発動するので、神変加持の成就力が深まります。この般若の智慧 がないと、霊体に囚われ、その本質が見えなくなってしまいます。般若心経が説く空性の理解を得てこそ、霊的な進化を遂げることができるのです。ですので、古神道や修験道の密教行者が般若心経を読むことの意味は非常に深く、日本人が般若心経を大切にしてきた歴史は、価値深いことだと思います。
霊咊の公案 2)
今上天皇陛下と仙人の話をさせていただきます。笹目秀和という方の名前を聞かれたこ とがありますか。昭和時代に奥多摩に仙人が住むと、笹目仙人と知られていた方です。
〜中略〜
昭和十年、笹目先生が大本の聖師出口王仁三郎を綾部に訪ねた時、王仁三郎師から竹筒を渡され、「これを崑崙山に埋めてきてくれ」と頼まれます。笹目先生はそれを快く引き 受けますが、朝鮮半島に渡った時に、大本が大弾圧されたことを知り、その竹筒が大本の 御神体である重要な意味を理解します。そして、その竹筒を崑崙山頂に埋めにゆくことになります。
笹目先生は、王仁三郎師の竹筒を持って崑崙山脈青海辺境に住む崑崙仙人を訪ね、崑崙山頂に御神体を埋めに行きます。その時、崑崙仙人と一緒に鶴に乗って、崑崙山頂へと飛び立ちます。この鶴は小型ヘリコプターくらいの大きさだったと、笹目先生はおっしゃっていました。大鶴に乗って飛ぶ上空は、とても寒いので鶴に乗って飛ぶ時は、崑崙仙人か ら学んだ太陽の氣をくらう法、離火印という秘法を行じていたので極寒の上空も飛行することができたそうです。そして、崑崙山頂に大本御神体の竹筒を無事、奉納されたと笹目先生は話されました。