タルタン寺便り」カテゴリーアーカイブ

北の閻魔堂の霊的因縁話 ー霊学史から見るみのおわりの霊咊の諸相ー

北の閻魔堂の霊的因縁話

ー霊学史から見るみのおわりの霊咊の諸相ー

日時:令和4年6月15日午後1時30分~3時

場所:岐阜市厚見公民館2階ホール(岐阜市上川手198-5)

主催:厚見ふるさとを学ぶ会定例学習会

会費:会員年会費2000円、特別参加は無料

 この度、長年調査研究してきました北の閻魔堂の霊的因縁の研究を、地元厚見の郷土史研究会で発表する機会を頂きました。

14世紀中世の南北朝時代、美濃尾張伊勢三国を支配した3代守護職土岐頼康の霊夢に現れた閻魔様。「我を艮に祀るべし」と霊示を受けた頼康が描いた霊的結界と霊薬山正法寺の役割。臨済宗法燈派の南朝霊脈から見える南北朝時代の霊的風景。その後船田の乱で結界が破られ関ヶ原合戦初戦の地である南の閻魔堂乱闘橋古戦場へと流れる霊的因縁。

 そして21世紀の現代へと流れる霊示「みのおわり」の諸相を資料を添え様々な角度から発表します。

 会員ではない特別参加の方は無料とのことです。気軽にご参加ください。

霊咊の公案 7)

令和と霊咊の日本的霊性より
第四章 自由の菩薩と弥勒の世

美濃尾張の鬼門 北の閻魔堂 

 私は五十年ほど前、中学生の夏休みの研究「長森城の研究」をきっかけに、美濃各地の旧所遺跡等を調べてきました。中でも驚いたことは六五〇年前に建てられた北の閻魔堂という鬼門封じの地が荒れ果て、今では石しか残っておらず地図にも示されていない場所に 成り果てていることでした。因縁が複雑にもつれた土地でした。私の地と血の因縁にも関 わるこの閻魔堂の跡地で、私は今もお経を唱え、お祈りを続けています。 

 今から六五〇年ほど前の南北朝時代、後の美濃守護職初代土岐頼貞は後醍醐天皇の詔を受け、足利尊氏や新田義貞と組み鎌倉幕府を滅ぼしました。頼貞は、後醍醐天皇の建武の新政の立役者の一人です。その後、足利尊氏が後醍醐天皇と袂を分ち北朝を建て、その後六十年ほど南北朝時代が始まり、土岐氏は北朝室町幕府側に立ちます。
 二代土岐頼遠は、バサラ武将と呼ばれた奇妙な人で、北朝の光厳上皇が巡行されるとき 泥酔し、「犬が通る? 犬ならば射てやる」と弓を弾き不敬罪で捕まり首をはねられてしまいます。酔って北朝の上皇に弓を引いたということは、腹の中は南朝だったということでしょう。北朝にとって美濃の土岐氏の立場は重要で、足利幕府は土岐を追いやることができず、美濃守護職三代に土岐頼康という頼遠の末の甥を立てました。その後、頼康は北朝室町幕府の尊氏、義詮、義満に忠誠を示し、実質的な幕府の長老へと昇りつめます。そ の忠誠心から、美濃守護職から尾張と伊勢を三国を与えられ東西南北の重要な拠点を支配 します。ですので、今の岐阜は海なし県と言われますが、当時三十年ほど領地には伊勢湾に面した海があったのです。そしてその領地には伊勢神宮、熱田神宮、甚目寺観音など重要な霊地を抱えていました。 

 頼康が美濃、尾張、伊勢の三国を統治し、政治の中心として川手城を作り、その霊的基 盤として正法寺を建立します。その開山に紀州和歌山興国寺の禅僧、嫩桂正栄 ( どんけい しょいうえい ) を招きます。当時の興国寺は臨済宗法燈派と知られ、南北朝時は南朝側に 付いていました。つまり頼康は嫩桂正栄やその周辺の南朝方らと密かに南北和解を模索ていたのではないかと推測します。頼康は南北和解の動きを探りながら美濃、尾張、伊勢 の三国を支配し、その中心の地が当時の美濃の川手城だったのです。 

 ここで興味深い霊的現象が起こります。三国を統治する頼康は、ある夜、夢の中に閻魔 様が現れ、「我を艮金に祀るべし」とお告げを受けます。頼康は驚いて自ら四十センチほ どの閻魔像を彫り、川手城の艮の鬼門に閻魔堂を建てその地を祀ります。これはまさに、 美濃、尾張、伊勢の三国の土地の因縁から現れた艮金の金神です。艮金の金神、荒神、荒 御魂が、閻魔様という権現として、頼康の夢に現れたのです。私はこの頼康にかかった霊体が、後醍醐天皇の憤怒相の霊体だと感じています。 

 私はこのみのおわりの霊的発動を求めて、各地の霊場を調査をしたり様々な祈りを試みましたが、どうやらこの仕組みを解く鍵が美濃尾張の鬼門に位置する御嶽山にあると感じ取りました。そして、一九九七年から御嶽山の飛騨側山裾一合目に位置する寒村に移住し、 師の法脈を守り伝えるためのチベット仏教のお寺と仏舎利塔を自作し、ここ飛騨の地で祈りを捧げています。 

 美濃尾張の鬼門である北の閻魔堂の因縁話はまたの機会に、他の美濃尾張の霊地を交えながらゆっくりと詳しくお話したいと思います。 

曹洞宗第二道場宝慶寺五十五世田中眞海洋一大和尚御遷化

曹洞宗第二道場宝慶寺五十五世田中眞海洋一大和尚御遷化

35年前の梵鐘勧進時に京都亀岡西光寺(当時住職)にて、梵鐘と共に接心をさせて頂きました。

その後も親しく交流の機会を得、タルタン寺にもご来訪頂き正法の御指導賜りました。

我が先達の御遷化を、心よりお祈りいたします。

2022年 円徳寺チベット仏教講座のお知らせ 

2022年 円徳寺チベット仏教講座のお知らせ 

智慧の祈りと覚醒の力 

ー自然治癒力の智慧で刧濁を生き抜くー

場所:円徳寺 岐阜市神田町6-24 名鉄岐阜駅より北へ徒歩5分 

日時:2022年4月10日(日)午後3時 会費:二千円 

新年からの長い自粛の時を経て、今春、仏教講座の再講のお知らせをいたします。 

末法の世の刧濁には、戦争、飢餓、疾病の蔓延が起こると示されています。今、世界で起きている様々な世界的な問題 を見つめ、その因果を考え、世界の中で自分の生き方と関わり方を深めていきたいと思います。 

今年の仏教講座では、瞑想ヨーガクムニェの実習を行いな がら、世界的な刧濁を生き抜く智慧と気力溢れる心身を学び ます。今まで学んだ密教の霊性の視点から、見えない先の世界を観、聞こえない神仏のメッセージを聴き、開かれた密教曼荼羅の世界観と実践行を深めてゆきたいと思っています。 

チベット仏教金剛乗ニンマ派 ウッディヤーナ山タルタン寺 林久義 

岐阜市厚見地区境川畔の関ヶ原合戦前の乱闘橋古戦場史跡の地鎮祭

本日2022年4月8日、岐阜市厚見地区境川畔南の閻魔堂の関ヶ原合戦前の乱闘橋古戦場史跡の地鎮祭を執り行いきました。この冬、境川の護岸工事中に出土した当時の痕跡を残す数々の石を引き上げることができました。

お釈迦様の生誕祭の吉日に、乱闘橋古戦場に眠る多数の御霊の供養と共に、石切神社の宮司様と後世に記録する史跡整備の祈りを神仏習合の儀式として執り行うことができました。みのおわりの供養が、弥勒の世への時の祈りとなりますように。

ディルゴ・キェンツェ・リンポチェの4行の要決

ディルゴ・キェンツェ・リンポチェの4行の要決

བླ་མ་མ་བརྗེད་རྟག་ཏུ་གསོལ་བ་ཐོབ། །

lama ma jé tak tu solwa tob

上師を忘れることなく、常に上師に祈るように。

རང་སེམས་མ་ཡེངས་རང་ངོ་རང་གིས་ལྟོས། །

rang sem ma yeng rang ngo rang gi tö

心を乱すことなく、常に心の本質を見つめるように。

འཆི་བ་མ་བརྗེད་ཆོས་ལ་བསྐུལ་མ་ཐོབ། །

chiwa ma je chö la kul ma thob

死を忘れることなく、常にダルマの修行に励むように。

སེམས་ཅན་མ་བརྗེད་སྙིང་རྗེ་བསྔོ་སྨོན་གྱིས། །

semchen ma je nyingje ngo mön gyi

衆生を忘れることなく、常に慈悲の功徳を以て、菩薩の請願を掲げるように。

第33回ニンマモンラムチェンモ(ブッダガヤ世界平和セレモニー)開催のお知らせ

第33回ニンマモンラムチェンモ(ブッダガヤ世界平和セレモニー)が、2月8日から11日まで開催されます。
facebook Nyingma Monlam Chenmo Internationalからオンラインで参加できます。

霊咊の公案 6)

令和と霊咊の日本的霊性より

かごめの歌は、日本の霊的な意味が秘められている不思議な歌です。この歌は様々な読 み取り方があります。一説によるとこの歌は、ヘブライ語で読むことができるとも言われます。ここでは日本的霊性の密教的な視点から歌に隠された霊的な意味を説明します。

〜中略〜

かごめのシンボル六芒星には、十という完成の真理が秘められている。
それは夜明けと晩に開かれる霊的な世界とつながる時、
鶴と亀、八と六、天と地のエネルギーが一つの行として行じられることで、
エネルギー転換が起こる。
それが、徳という日本的霊性を開く修行、
あなた自身に内在している本質だ

この「徳」という深い意味が、日本人の霊性の本質だと、直感的に理解できます。徳という霊的な意味には、深い大和心の本質が秘められているのです。

令和四年 元旦迎春 霊咊の公案 5)

令和と霊咊の日本的霊性より

大和心が、ここでのテーマです。江戸時代の国学者本居宣長が日本の精神性を、大和心こそが重要なキーワードだと説きました。 本居宣長六十一歳の時、「敷島の歌」( しきしまのうた ) を読んで、その精神性を表現しています。 

「しき嶋の やまとごころを人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花 」

大和心を論理的に表現することは難しいとされ、本居 宣長は敷島の歌でその精神の美しさを、山ざくらと表現したのです。 

 ~中略~

大和心とは、あらゆる多様性を受け入れ、その中に調和を求める真心。それは言葉では表せず、倫理的にも表現できない、ハートとハート、霊性と霊性の融合、それは古代からの日本人の精神性、優しさ、思いやり、調和を本来の霊性として、様々な歌に詠まれてきました。この多様的精神の統合、調和と平和の霊性が、大和心なのです。 

聖徳太子は、この倫理的に説明することが難しい大和心の精神性を、「神道と儒教と仏教」として説明されました。