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チベット仏教講座30年記念講座のお知らせ その2

2022年 チベット仏教講座30年記念講座のお知らせ その2

みのおわりの霊学史観

ー北の閻魔堂の霊的因縁を解くー

場所:円徳寺 岐阜市神田町6-24 名鉄岐阜駅より北へ徒歩5分

日時:2022年8月21日(日)午後3時 会費:二千円

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 30年前インドブッダガヤセレモニーから帰国後、円徳寺様にてチベット仏教講座を催す機会を頂きました。この30年の法話は昨年「令和と霊咊の日本的霊性ー飛騨の密教行者が語る自由の菩薩と弥勒の世ー」として一冊の本に綴ることができました。

 今月は、チベット仏教講座30年記念講座「みのおわりの霊学史観 ー北の閻魔堂の霊的因縁を解くー」を語ります。650年前美濃尾張伊勢三国守護職の土岐頼康は、霊夢に閻魔王が顕れ「我を牛寅に祀るべし」と啓示を受けます。頼康は鬼門結界の地として北の閻魔堂を祀りますが、後に斎藤道三によってその結界が破られます。その霊的因縁は1600年西軍に組した織田信長の孫秀信が、8月21日南の閻魔堂乱闘橋の合戦、23日岐阜城落城、円徳寺で剃髪、高野山に出家と、その流れが9月15日関ヶ原の戦いに続きます。「えどのしくみはみのおわり」「みのおわりが開くと弥勒の世」「開かないとみのおわり」と霊能者たちが語るように、この霊的因縁は世界の雛形としての現代日本に今も流れています。チベット密教の視点から「一人ひとりの霊性の目覚めが弥勒の世を開く鍵」というお話をいたします。

 8月23日10AM、金華山岐阜城二の丸跡に頼康自作の閻魔像が祀られる閻魔堂で法要を行います。(有志自由参加現地集合)

(次回は、第4日曜日9月25日(日)3pmを予定しています)

チベット仏教金剛乗ニンマ派

ウッディヤーナ山タルタン寺 林久義

E-mail:oddiyana@gmail.com    

https://oddiyana.com/

霊咊の公案 9)

令和と霊咊の日本的霊性より

第一章霊的統合の象徴スメラギの「咊」 2 現成公案 昭和通商から右傾集団

 現代政治の思想的源流との相関関係を理解するためのもう一つのキーワードが、先の「昭和通商」です。昭和初期頃から、日本は満州大陸に進出していきます。大陸進出には関東軍が実質的な中心となり、特に満州、中国、朝鮮半島に支配の手を広げ、満州国を建国し ます。その関東軍に、武器の調達、麻薬の調達、女性の調達を行なったのが昭和通商です。 日本陸軍主導で設立された国策軍需会社であり、今で言う総合商社です。里見甫 ( さとみ はじめ ) という官僚が中心となり活動を行ないますが、そこに関わったメンバーには、岸信介、吉田茂、そして、笹川良一、児玉誉士夫、小泉純也、文鮮明、金日成、朴正煕、池田大作という人物が名を連ね活動していました。 

 これは重要な因果の現成公案です。例えば、岸信介は安倍元首相の祖父ですし、吉田茂は麻生元首相の祖父です。小泉純也は小泉元首相の父です。池田大作は創価学会の会長で す。更にアジアでの関係では、文鮮明は統一教会(現世界平和統一家庭連合)教祖ですし、金日成は今の北朝鮮の金正恩の祖父です。朴正煕は韓国の元大統領の朴槿恵の父です。この昭和通商の人物相関を知ると戦前戦中の因縁からの原因と結果として、今現在の時代を 作っている、まさに因果の現成公案と見ることができます。この視点が理解できないと、 今、日本でアジアで何が起こっているのか、これから何が起ころうとしているのか、どこに向かおうとしているのかが見えないからです。 

チベット仏教講座30年記念講座のお知らせ

チベット仏教講座30年記念講座のお知らせ

「チベットの死者の書 ー死を学び、今を生きるー 」

日時:7月23日(土)4pm-6pm
場所:甚目寺観音内法花院
愛知県あま市甚目寺町門前1
日時:7月24日(日)3pm-5pm
場所:円徳寺本堂
岐阜県岐阜市神田町6

 30年前インドブッダガヤセレモニーから帰国後、円徳寺様にてチベット仏教講座を催す機会を頂きました。以後毎月仏法を語る場を頂き、また甚目寺観音内法花院様釈迦院様との仏縁が更に広がり、毎月の仏教講座の法縁を頂いています。

 今回はチベット仏教講座30年記念講座として、「チベットの死者の書」のお話をいたします。

 チベット密教で「バルド・トドゥル」と知られる教えは、死後四九日間の中有に何が起こるのかを聴きその教えを学ぶことで、目覚めた意識を保ったまま死後を体験し、より良い次の生を得ることができると言われています。

 死後の意識は生前のカルマの風に流され、中有を彷徨いますが、今生で仏法を学び正しい瞑想修行を行うことで、目覚めた意識を保ったまま死後49日を体験し、バルドの中で解脱ができる最後のチャンスを得ることができます。「死」を学ぶことによって、「今」という貴重な生をどのように生きるべきかを学ぶことでしょう。

 チベット仏教金剛乗ニンマ派
ウッディヤーナ山タルタン寺 林久義

霊咊の公案 8)

令和と霊咊の日本的霊性より
第四章 自由の菩薩と弥勒の世

みのおわりからミロクの世 

 大乗仏教が広がったアジア全土には、弥勒信仰が伝えられています。弥勒信仰には、弥勒菩薩を崇拝し兜率天に転生し、弥勒仏の弟子となって成仏を望む上生信仰と、弥勒仏がこの世に降り立ち衆生の救済を祈る下生信仰があります。弥勒信仰は、ミトラ教の影響ともユダヤ教、キリスト教のマイトレーヤ ( 救世主 ) 信仰の影響を受けたとも言われています。末法の現象が現れるほどに、弥勒信仰は民衆に広がっていき、日本に於いても弥勒信仰は、世が乱れる時代ほど、新たな未来を求める祈りの声となって広がりました。 

 十九世紀末に大本の開祖、出口なおが受けた霊示「大本神諭」の冒頭に、ミロクの世に 向けた時代転換から語られています。 

   三千世界、一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ

     梅で開いて、松で治める、神国の世になりたぞよ

   神が表に現れて、三千世界の天之岩戸開きを致すぞよ 

   用意をなされよ。この世は全然、新つに致して了ふぞよ

   三千世界の大洗濯、大掃除を致して、天下泰平に世を治めて、 

   万古末代つづく神国の世に致すぞよ 

 この霊示には、ミロクの世が現れる前に世界の大変動が起きると、末法の世からミロク の世へのビジョンが示されています。また大本には、次の霊示が示されます。 

    東京で仕組を駿河美濃尾張大和玉芝国々に、神の柱を配り岡山 大本神諭 

    東京の経綸 ( しくみ ) はミノオワリ、尾張の経綸は世の終わり 伊都能売神諭

 これは、古代から日本は世界のひな型であり、世界は日本のひな型であるという霊的世 界観がベースにあります。この視点で日本を見ると、北海道がアメリカ大陸、本州がユー ラシア大陸、四国がオーストラリア、アフリカが九州に相似を成し、日本の形が世界の形 になっていることに気付きます。日本のカルマは、イザナギ、イザナミが乳海攪拌神話で 混沌の海をかき混ぜて、ポトポトと雫になった淡路島 ( オノコロ島 ) から始まり、四国、 九州、本州などの大八洲と日本の形が作られ、六十餘州の国々と成り立ちます。つまり世 界中のカルマが日本に集まるというひな型論は、日本の重要な霊的立ち位置を示しているとも言えます。
世界のカルマには、良いカルマも悪いカルマもありますが、あらゆる世界中のカルマが 集積し、日本にドン詰まってくると言われています。二十一世紀の現代を構成する資本主 義、共産主義、世界情勢、政治システム、経済金融システム、医療システム、貧困社会問 題、食料事情、環境問題など、あらゆる全てのカルマを形作る様々なシステム崩壊が起こり始めています。世界のカルマは、日本のカルマとして凝縮されているのです。 日本を形成する超古代からの様々な善悪全てのカルマが歴史の中で煮詰まり、これらのカルマ、日本の因縁が最後の最後に、全てが美濃尾張に集約されてくると霊示に示されているのです。 

 また、大本の霊的役割を受け継いだ岡本天明の霊示の書、日月神示には、「穢土 ( エド ) の仕組みは美濃尾張」とあります。 

   エドの仕組すみたらオワリの仕組にかからすぞ
   その前に仕組む所あるなれど、今では成就せんから、

   その時は言葉で知らすぞ 宝持ちくさりにして呉れるなよ、猫に小判になりて呉れるなよ
   天地一度に変ると申してあること近づいたぞ、世は持ちきりにはさせんぞよ、 

   「二二八八れ十二ほ ん八れ(富士は晴れ たり日本晴れ)」か ら始まる。

     息吹 ( いぶ ) き払ひて議論 ( ろん ) なくするぞ、ことなくするぞ、 

    物言はれん時来るぞ、臣民見当とれんことと申してあらうが、 

    上の人つらくなるぞ、頑張りて呉れよ 地つ巻 第三十三帖 ( 一七〇 )

 つまり、大本や岡本天明が受けた霊示には、世界のカルマが日本に煮詰まり、日本のカ ルマの凝縮である現代の「江戸 ( 東京 ) の仕組み」が終わると、次には美濃尾張にドン詰まると霊示に示されているのです。この「美濃尾張」の霊的因縁が梅の花のように開くと「ミ ロクの世」が現れることを予言しています。一方で、世界のカルマのドン詰まりである美濃尾張が開かないと、「身の終わり」という言霊で厳しく警告しているのです。 

 確かに、美濃尾張は古代から東西南北の世界のひな型として、幾度かの時代転換の戦いが起こってきました。古代では、近江北朝天智天皇と南朝天武天皇が戦った壬申の乱です。 壬申の乱は、美濃の豪族村国氏が大海人側に付き、東西の要、関ヶ原の不破関を守って近 江朝に勝った歴史があります。後鳥羽上皇と鎌倉幕府が戦った承久の乱もそうです。武家政治に反旗を翻した後鳥羽上皇の勝敗の分かれ目の決戦の場所が、やはり美濃尾張を挟んだ木曽川辺りや墨俣です。そして一番有名な場所は、言わずと知れた天下分け目の関ケ原の合戦です。このように大きな時代が動く土地、末法の世からミロクの世への転換点が、 必ず美濃尾張に凝縮すると、これらの霊示に示されているのです。 

  これが東南海トラフ大地震を予言するものかは解りません。いずれも時代の転換を警告 しているメッセージだと受け取るべきだと思います。世界のカルマ、日本のカルマが凝縮 した終着地の美濃尾張が、身の終わりとなるのか、ミロクの世への発信地となるのかは、 私たちの霊的進化に関わっていると示されています。 

霊咊の公案 7)

令和と霊咊の日本的霊性より
第四章 自由の菩薩と弥勒の世

美濃尾張の鬼門 北の閻魔堂 

 私は五十年ほど前、中学生の夏休みの研究「長森城の研究」をきっかけに、美濃各地の旧所遺跡等を調べてきました。中でも驚いたことは六五〇年前に建てられた北の閻魔堂という鬼門封じの地が荒れ果て、今では石しか残っておらず地図にも示されていない場所に 成り果てていることでした。因縁が複雑にもつれた土地でした。私の地と血の因縁にも関 わるこの閻魔堂の跡地で、私は今もお経を唱え、お祈りを続けています。 

 今から六五〇年ほど前の南北朝時代、後の美濃守護職初代土岐頼貞は後醍醐天皇の詔を受け、足利尊氏や新田義貞と組み鎌倉幕府を滅ぼしました。頼貞は、後醍醐天皇の建武の新政の立役者の一人です。その後、足利尊氏が後醍醐天皇と袂を分ち北朝を建て、その後六十年ほど南北朝時代が始まり、土岐氏は北朝室町幕府側に立ちます。
 二代土岐頼遠は、バサラ武将と呼ばれた奇妙な人で、北朝の光厳上皇が巡行されるとき 泥酔し、「犬が通る? 犬ならば射てやる」と弓を弾き不敬罪で捕まり首をはねられてしまいます。酔って北朝の上皇に弓を引いたということは、腹の中は南朝だったということでしょう。北朝にとって美濃の土岐氏の立場は重要で、足利幕府は土岐を追いやることができず、美濃守護職三代に土岐頼康という頼遠の末の甥を立てました。その後、頼康は北朝室町幕府の尊氏、義詮、義満に忠誠を示し、実質的な幕府の長老へと昇りつめます。そ の忠誠心から、美濃守護職から尾張と伊勢を三国を与えられ東西南北の重要な拠点を支配 します。ですので、今の岐阜は海なし県と言われますが、当時三十年ほど領地には伊勢湾に面した海があったのです。そしてその領地には伊勢神宮、熱田神宮、甚目寺観音など重要な霊地を抱えていました。 

 頼康が美濃、尾張、伊勢の三国を統治し、政治の中心として川手城を作り、その霊的基 盤として正法寺を建立します。その開山に紀州和歌山興国寺の禅僧、嫩桂正栄 ( どんけい しょいうえい ) を招きます。当時の興国寺は臨済宗法燈派と知られ、南北朝時は南朝側に 付いていました。つまり頼康は嫩桂正栄やその周辺の南朝方らと密かに南北和解を模索ていたのではないかと推測します。頼康は南北和解の動きを探りながら美濃、尾張、伊勢 の三国を支配し、その中心の地が当時の美濃の川手城だったのです。 

 ここで興味深い霊的現象が起こります。三国を統治する頼康は、ある夜、夢の中に閻魔 様が現れ、「我を艮金に祀るべし」とお告げを受けます。頼康は驚いて自ら四十センチほ どの閻魔像を彫り、川手城の艮の鬼門に閻魔堂を建てその地を祀ります。これはまさに、 美濃、尾張、伊勢の三国の土地の因縁から現れた艮金の金神です。艮金の金神、荒神、荒 御魂が、閻魔様という権現として、頼康の夢に現れたのです。私はこの頼康にかかった霊体が、後醍醐天皇の憤怒相の霊体だと感じています。 

 私はこのみのおわりの霊的発動を求めて、各地の霊場を調査をしたり様々な祈りを試みましたが、どうやらこの仕組みを解く鍵が美濃尾張の鬼門に位置する御嶽山にあると感じ取りました。そして、一九九七年から御嶽山の飛騨側山裾一合目に位置する寒村に移住し、 師の法脈を守り伝えるためのチベット仏教のお寺と仏舎利塔を自作し、ここ飛騨の地で祈りを捧げています。 

 美濃尾張の鬼門である北の閻魔堂の因縁話はまたの機会に、他の美濃尾張の霊地を交えながらゆっくりと詳しくお話したいと思います。 

2022年 円徳寺チベット仏教講座のお知らせ 

2022年 円徳寺チベット仏教講座のお知らせ 

智慧の祈りと覚醒の力 

ー自然治癒力の智慧で刧濁を生き抜くー

場所:円徳寺 岐阜市神田町6-24 名鉄岐阜駅より北へ徒歩5分 

日時:2022年4月10日(日)午後3時 会費:二千円 

新年からの長い自粛の時を経て、今春、仏教講座の再講のお知らせをいたします。 

末法の世の刧濁には、戦争、飢餓、疾病の蔓延が起こると示されています。今、世界で起きている様々な世界的な問題 を見つめ、その因果を考え、世界の中で自分の生き方と関わり方を深めていきたいと思います。 

今年の仏教講座では、瞑想ヨーガクムニェの実習を行いな がら、世界的な刧濁を生き抜く智慧と気力溢れる心身を学び ます。今まで学んだ密教の霊性の視点から、見えない先の世界を観、聞こえない神仏のメッセージを聴き、開かれた密教曼荼羅の世界観と実践行を深めてゆきたいと思っています。 

チベット仏教金剛乗ニンマ派 ウッディヤーナ山タルタン寺 林久義 

ディルゴ・キェンツェ・リンポチェの4行の要決

ディルゴ・キェンツェ・リンポチェの4行の要決

བླ་མ་མ་བརྗེད་རྟག་ཏུ་གསོལ་བ་ཐོབ། །

lama ma jé tak tu solwa tob

上師を忘れることなく、常に上師に祈るように。

རང་སེམས་མ་ཡེངས་རང་ངོ་རང་གིས་ལྟོས། །

rang sem ma yeng rang ngo rang gi tö

心を乱すことなく、常に心の本質を見つめるように。

འཆི་བ་མ་བརྗེད་ཆོས་ལ་བསྐུལ་མ་ཐོབ། །

chiwa ma je chö la kul ma thob

死を忘れることなく、常にダルマの修行に励むように。

སེམས་ཅན་མ་བརྗེད་སྙིང་རྗེ་བསྔོ་སྨོན་གྱིས། །

semchen ma je nyingje ngo mön gyi

衆生を忘れることなく、常に慈悲の功徳を以て、菩薩の請願を掲げるように。

令和四年 元旦迎春 霊咊の公案 5)

令和と霊咊の日本的霊性より

大和心が、ここでのテーマです。江戸時代の国学者本居宣長が日本の精神性を、大和心こそが重要なキーワードだと説きました。 本居宣長六十一歳の時、「敷島の歌」( しきしまのうた ) を読んで、その精神性を表現しています。 

「しき嶋の やまとごころを人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花 」

大和心を論理的に表現することは難しいとされ、本居 宣長は敷島の歌でその精神の美しさを、山ざくらと表現したのです。 

 ~中略~

大和心とは、あらゆる多様性を受け入れ、その中に調和を求める真心。それは言葉では表せず、倫理的にも表現できない、ハートとハート、霊性と霊性の融合、それは古代からの日本人の精神性、優しさ、思いやり、調和を本来の霊性として、様々な歌に詠まれてきました。この多様的精神の統合、調和と平和の霊性が、大和心なのです。 

聖徳太子は、この倫理的に説明することが難しい大和心の精神性を、「神道と儒教と仏教」として説明されました。 

霊咊の公案 4)

理趣経の奥深さは、親鸞聖人の南無阿弥陀仏と同様に、世俗や自身の心が煩悩で汚れている為に、清める目的で理趣経を読むのではなく、本来清浄という境地に目覚めることを説くところです。般若経は、元々本来の空なる本質に気付くことを重要とし、自我の苦しみ、悲しみ、悩み、恐怖、それら全ての精神活動が、五蘊や六根十二処十八界が作りあげた虚妄の世界と捉えます。自分が作り出すエゴのフィルターを介すことなく、般若の覚醒意識にただ留まることが、空性の禅定です。

 ~中略~

チベット仏教では般若経に説かれる智慧の瞑想が、何も捉えらない青い空に喩えられるように、その広大な空間と意識空間は同等と見ます。青い空に雲が現れても、それは常に生々流転し、一瞬も留まることなく、来ては去ってゆくものです。その雲は、私たちの心に去来する思考そのもの、雲を追うことなく、青い空間をただ見つめること、密教ではそれが意識の本質そのものだと理解します。

この広大な空間を仏教では、法界 ダルマダートゥと言います。 

霊咊の公案 3)

霊咊の公案 3)

日本的霊性と言いますと、禅宗系仏教学者鈴木大拙の名著があります。

私が本書で語る日本的霊性は、鈴木大拙の語る日本的霊性とは対極の視点を持っています。本書で語る日本的霊性は、鈴木大拙が触れなかった修験道や密教の視点に光を当て、神道と顕密仏教の関係性、神仏習合や本地垂迹という日本の神々の視点から、明治の廃仏毀釈後の民衆への霊示を含む日本的霊性を取り上げています。

~中略~

神仏習合の古神道、修験道においても、般若心経を唱えるからこそ、神様や仏様、様々な霊体が活き、その霊力が発動するので、神変加持の成就力が深まります。この般若の智慧 がないと、霊体に囚われ、その本質が見えなくなってしまいます。般若心経が説く空性の理解を得てこそ、霊的な進化を遂げることができるのです。ですので、古神道や修験道の密教行者が般若心経を読むことの意味は非常に深く、日本人が般若心経を大切にしてきた歴史は、価値深いことだと思います。