タルタン寺便り」カテゴリーアーカイブ

坂村真民さんの詩

1990年米国オディヤン寺院から帰国後、松山の加藤さんの招きで四国を巡礼した。大三島神社や一遍上人の仏縁を巡る中、
真民さん宅たんぽぽ堂を訪ねゆっくりとお話の時を頂いた。
チベットのお祈りをさせて頂くと、特に「オンマニペメフン」の響きに共鳴され、
後に「オンマニペメフンと唱える青年」という詩を書いて下さった。
真民さんという妙好人の先達の姿がありがたい。

坂村 真民(仏教詩人)

悲しむな タンポポを見よ 踏まれても平気で花を咲かせているではないか
あせるな 
いそぐな 
ぐらぐらするな 
馬鹿にされようと 笑われようと じぶんの道を 
まっすぐゆこう 時間をかけて みがいてゆこう
最高の人というのは、この世の生を、
精いっぱい、力いっぱい、命いっぱい、生きた人。

本当に光を知るためには 
本当に闇を知らねばならぬ
美しいものは美しい心でながめ、優しいものは優しい心で接し、
その日その日を送っていこう。
過ぎてゆく月日を宝のように大事にして、一度きりの人生を全うしよう。

日々の生活を人間らしく生きてゆくのも立派な修行である。
そしてそれらはすべて喜びを持って行ってゆかねばならない。
喜びなくして行うものは、どんな難行を果しても、よい実を結ぶことはできない。
人間は本ものに出会わないと 本ものにならない
木が美しいのは 自分の力で立っているからだ

一難去ってまた一難。
でも思えば、この難によって、念が鍛えられ、
念の花が咲き、念の実が熟するのだ
順調に行く者が必ずしも幸せではない。
苦労がその人を鍛えあげる 
磨き上げる 
本物にする
すべては出会いの一瞬できまる。
だから、その時のために心を磨いておくのだ。
名刀のように。

愛とは、呼吸がぴったりと合うことである。
人生は深い縁(えにし)の不思議な出会いだ。
闇深ければ、光もまた強し。

よい本を読め。よい本によって己れを作れ。
二度とない人生だから 一匹のこおろぎでも ふみころさないようこ こころしてゆこう どんなにかよろこぶことだろう。

鈍刀をいくら磨いても無駄なことだというが、何もそんなことばに耳を借す必要はない。
せっせと磨くのだ。
刀は光らないかもしれないが、磨く本人が変わってくる。
つまり刀がすまぬすまぬと言いながら、磨く本人を光るものにしてくれるのだ。

二度とない人生だから まず一番身近な者たちに できるだけのことをしよう 
貧しいけれど こころ豊かに接してゆこう。
二度とない人生だから 一ぺんでも多く便りをしよう 返事は必ず書くことにしよう

本を何百巻読んでも、本ものにはなれない。
本は頭を肥やすが、足は少しも肥やしはしない。
足からきた悟りが、本ものである。

本気になると世界が変わってくる。
自分が変わってくる。
変わってこなかったら、まだ本気になっていない証拠だ。
本気な恋、本気な仕事。
ああ、人間一度はこいつをつかまないことにはいつも心は燃えていよう、
消えてしまっては駄目。
いつも瞳は澄んでいよう、
濁ってしまっては駄目。

夜が明けるということは、なんとありがたいことだろう。
光が射してくるということは、なんとうれしいことだろう。

少食であれ!これは健康のもと。
少欲であれ!これは幸福のもと。
この二つのものをしっかりと身につけよう。

この世を悔いなく終わるため。
この世を楽しく生きるため いのちいっぱい生きるのだ 
念じ念じて生きるのだ 
一度しかない人生を 何か世のため人のため 自分にできることをして この身を捧げ生きるのだ

あとから来る者のために 田畑を耕し 種を用意しておくのだ。 
山を 川を 海を きれいにしておくのだ。
ああ あとから来る者のために苦労をし我慢をし みなそれぞれの力を傾けるのだ。 
あとからあとから続いてくるあの可愛い者たちのために 
みなそれぞれ自分にできるなにかをしてゆくのだ。

長く生きていることは無駄ではなかったとしみじみ思う年になった
見えなかったものや聞こえなかったものが 見えだし聞こえだしたのもありがたい喜びの一つだが 
一番大きな喜びは色々の悲しみを知ったことだった
人生とは真実一路の道を行く出会いのたびである 

またたく星よ わたしの旅路を守らせたまえ
心に美しい火を燃やし、人生は尊かったと叫ばしめよ。
人間いつかは終わりがくる。前進しながら終わるのだ。

花には散ったあとの悲しみはない 
ただ一途に咲いた悦びだけが残るのだ

※12月11日は坂村真民の命日(2006年)です。

北の閻魔堂の霊的因縁話 ー霊学史から見るみのおわりの霊咊の諸相ー

北の閻魔堂の霊的因縁話
ー霊学史から見るみのおわりの霊咊の諸相ー

日時:令和5年10月18日午後1時30分~3時
   令和5年11月15日午後1時30分~3時
場所:岐阜市厚見公民館2階ホール(岐阜市上川手198-5)
主催:厚見ふるさとを学ぶ会定例学習会
会費:会員年会費2000円、特別参加は無料

 この度、昨年に続き長年調査研究してきました北の閻魔堂の霊的因縁の研究を、地元厚見の郷土史研究会で発表する機会を頂きました。今年は10月11月15日と2回に分けて掘り深めます。
・14世紀中世の南北朝時代、美濃尾張伊勢三国を支配した3代守護職土岐頼康の霊夢に現れた閻魔様。
・「我を艮に祀るべし」と霊示を受けた頼康が描いた霊的結界と霊薬山正法寺の役割。
・臨済宗法燈派の南朝霊脈から見える南北朝時代の霊的風景。
・その後、船田の乱で結界が破られ関ヶ原合戦初戦の地である南の閻魔堂乱闘橋古戦場へと流れる霊的因縁。
・そして21世紀の現代へと流れる霊示、「みのおわり」の諸相を資料を添え様々な角度から発表します。
 会員ではない特別参加の方は無料です。気軽にご参加ください。

タルタン・リンポチェへの長寿の祈り

タルタン・リンポチェ
クンガ・ゲレック・イェシェ・ドルジェ(Kun-dga dGe-legs Ye-shes rDo-rje)への長寿の祈り

ゾンサー・ジャムヤン・キェンツェ記す

クン(Kun)ツザンポ・ガ(Ga)ラップドルジェ・ヴァイロツァーナ、
我らニンマ派の三種の相伝による全ての持明者の御師達。

この法脈を護持し弘法するタルタン・リンポチェの菩薩行に、
比類なき思念を以って称賛いたします。

崇高なる具現者タルタン・リンポチェの蓮華の御足が堅固であられますよう、
私、ゾンサー・ジャムヤン・キェンツェがお祈りいたします。

タルタン・リンポチェの知識と慈悲と法力の完成は、
善根(dGe-legs)と功徳の白蓮華の輝きを自発の因とし、
三界の闇の深みを照らし出す太陽のよう。

タルタン・リンポチェの仏法の教えが存続し、
その栄誉と功績が末長く伝えられますよう。

不死なる原初の智慧(Ye-shes)の大いなる輝き、
無量寿如来の光明よ、
仏法を護持する比類なき高貴なタルタン・リンポチェを祝福し、
更なる法力が与えられますよう。

タルタン・リンポチェの三密と三身が、
不滅の金剛(rDo-rje)として、
この地上に留まり続けますよう心よりお祈りいたします。

タルタン・リンポチェの娘、ツェリンの勧めにより、
私、ゾンサー・キェンツェ・トゥプテン・チョキ・ギャツォが、
最勝なる帰依処である吉祥の法要に寄与される、
最善なるタルタン・リンポチェが、健康で長寿であられますよう、
この祈願文を記し、心よりお祈りします。

2013年癸巳10月3日の朝

シッディラツ!
この祈りが成就しますように!

閻魔堂みのくよう

閻魔堂みのくよう
ー南の閻魔堂法要ー
場所:南の閻魔堂 岐阜市領下1-7-1 
   岐阜市立厚見中学校の北東 コミュニティバス閻魔堂前
日時:2023年10月7日(土) 午前11時より(15分ほど)

本年10月7日は、旧暦8月23日です。1600年8月若き岐阜城城主、織田秀信(信長の孫)は西軍に就くことを決断し、厚見領下の閻魔堂前に本陣を敷いたことから、関ヶ原の戦いの前哨戦「乱闘橋の戦い」が起こります。8月23日岐阜城は落城し、秀信は円徳寺に逃げ落ち剃髪します。
この度、加藤家のご理解を頂き閻魔堂を開堂し、旧暦みのくようの法要を執り行う運びとなりました。
有縁仏縁、心ある方々のご参加いただき、ご一緒に 「みのくよう」をお祈りいただければ幸いです。
中世から戦国へそして近世の徳川時代への時代の転換、仏縁地である「閻魔堂」にて、日本の重要な因縁の地で鎮魂の祈りを「みのくよう」と名して、法要を行います。

チベット仏教金剛乗ニンマ派
ウッディヤーナ山タルタン寺
林久義

御岳山大噴火への鎮魂の祈り

オーン

御嶽大権現の大御霊様
世界経綸の扉を開く
みのおわりの丑寅の坤神にて
遥か古より万国大日の本におわします
豊受大神国常立尊

その本地は観世音菩薩にして
慈雨の如く衆生を豊かに潤し恵みて
法身阿弥陀如来の智慧の光明
密意パドマサムバヴァの金剛心
円満成就の神変を以て

八紘一宇の大日の本を
栄え給え、幸え給え
守り給え、鎮まり給え
安寧の弥勒の世へと、導き給え

三世十方諸仏の如来の智慧よ
最善の働きへと解き放ち給え

かむながらたまちはえませ
かむながらたまちはえませ
フン パット

2014.9.27 御岳山大噴火への鎮魂の祈り

円徳寺みのくよう ー岐阜城落城鎮魂法要ー

2023年 チベット仏教講座特別法要のお知らせ
円徳寺みのくよう
ー岐阜城落城鎮魂法要ー
場所:円徳寺 岐阜市神田町6-24 名鉄岐阜駅より北へ徒歩5分
日時:2023年8月23日(水)午前11時より(30分ほど)

今月は特別に「円徳寺みのくよう ー岐阜城落城鎮魂法要ー」と名した法要を行います。
1600年8月21日、若き岐阜城城主、織田秀信(信長 の孫)は西軍に就くことを決断し、厚見領下の閻魔堂前に本陣を敷いたことから、関ヶ原の戦いの前哨戦「乱闘橋の戦い」が起こります。
翌々日23日岐阜城は落城し、秀信は円徳寺に逃げ落ち剃髪します。
中世から戦国へそして近世の徳川時代への時代の転換、仏縁地である「円徳寺」にて、日本の重要な因縁の地で鎮魂の祈りを「みのくよう」と名して、法要を行います。

有縁仏縁、心ある方々のご参加いただき、ご一緒に 「みのくよう」をお祈りいただければ幸いです。

チベット仏教金剛乗ニンマ派
ウッディヤーナ山タルタン寺
林久義