令和と霊咊の日本的霊性より (抜粋)
第四章 自由の菩薩と弥勒の世
4,菩薩的生き方のすすめより抜粋
ミロクの世を願う弥勒信仰は、古代からインド、中国、日本において民衆の信仰として広く流布しています。それは現世の終末である末法の世から、新たなブッダの時代、未来仏を待ち望む衆生の願いと、政治の変革を望む民衆の意識の投影でもあります。現代はまさに末法の暗黒時代として、弥勒の出現が待ち望まれている時です。
弥勒菩薩は現在、天界の欲界第四天の兜率天にある龍華宮の椅子に座り、次の弥勒仏の時代、弥勒の世を待っておられます。一方、現代の末法の衆生の世には、多くの菩薩が活躍しますが、中でも観世音菩薩や地蔵菩薩は、摩尼宝珠(チンタマニ)を持ち、六道に苦しむ全ての衆生の命を摩尼宝珠に封じ込め、菩薩の誓願を果たしています。
お地蔵様の持つ摩尼宝珠が、六道に苦しむ全ての衆生の御霊を救い出す重要なアイテムです。摩尼宝珠は、全ての願いが叶う霊石と言われています。お地蔵様は、戦争や飢餓や病気、時代の濁り(刧濁)の末法の世の暗黒時代になればなるほど、地獄の底まで救いに行くという誓願を以つ民衆救済の重要な役割を担っています。六道を巡り一つひとつの衆生の命を、摩尼宝珠の中に封じ込め、苦海に彷徨う衆生を救って巡ります。このお地蔵様の役割と働きのシンボルが、衆生の命を救って封じる摩尼宝珠なのです。
そして、地蔵菩薩が六道全ての衆生の命を救い摩尼宝珠に封じ、それを持って兜率天にります。地蔵菩薩がその摩尼宝珠を弥勒菩薩に手渡し、弥勒菩薩が「しかと受け取った」と宣言し椅子から立ち上がったその時、弥勒仏となり、弥勒の世となると伝えられています。
つまり、弥勒の世につなぐ役割は、菩薩の働きが一番重要だという見解(けんげ)です。その仏教的見解は、妙法蓮華経第十五地湧出品による、大地から無数の菩薩が湧き出てくる現象が発動します。地湧の菩薩とは、自由の菩薩、地から湧き出る無数の目覚めた存在です。それはあなたです。そして私です。私たち一人ひとりには誰にも頼らず、なんの肩書きも必要とせず、静かな心と明晰な意識を持って、自分の足で立ち、自由な発想を持って行動できる、本来の性質があります。そして自らが確信した菩薩の請願を、生老病死の今生の中で行じ続けること、この目覚めこそが自由の菩薩の証なのです。
菩薩という生き方は、インド大乗仏教以来の最も重要な霊的進化への鍵です。菩薩とは、エゴを主張するのではなく、世のため人のために生きる存在です。菩薩は、抜苦与楽として、他者の苦しみを引き受け、自分の楽を与えるのですが、自分の内に楽がなかったら、他者に楽を与えることはできません。では、この楽とは、何でしょうか。
この楽とは、苦楽の二元を越えた究極の楽、不二なる楽、極楽です。一般に、阿弥陀の浄土、極楽が知られていますが、曼荼羅の視点からは四方に展開します。東方の極楽は薬師如来の瑠璃浄土です。密教では東の浄土は金剛薩埵 の浄土とされます。
南の浄土は、現代仏のお釈迦様の聖地、ブッダガヤや霊鷲山です。死後の中有にブッダガヤの金剛法座を観想すれば、中有の意識がそこに吸い込まれ解脱できます。また意識の本質に仏法があればどこに居ようが霊鷲山が目の前に仏国土として現れる「霊山眼前」と、法華経に説かれています。
西方には阿弥陀様の極楽浄土が広がります。密教では、パドマサムバヴァの密厳浄土、聖なる銅山(サンドゥペルリ)です。
では北方の浄土はどこでしょうか。それは、この現象界である世間に仏国土を作り上げていくことです。お寺一つ、お堂一つ、仏塔一つ、仏像一つ、梵鐘一つと、この世界に仏法を形に現していく働きが、この世に仏国土を現すことです。弘法大師が高野山を開き千年以上現在にも続く仏国土を作られ、それが守り伝えられていることはすごいことです。聖徳太子の法隆寺や東大寺を始め、日本全土に広がる数十万の仏教寺院が二十一世紀の現代に千年以上の時を越えてダルマが守り伝えられている因は、最初に誓願を立てた方がおられるからです。仏国土をここに作りたい、三宝を守る道場を作りたいという強い意志、菩薩の請願が形になったからです。
この内なる仏国土が抜苦与楽の楽の本質です。苦楽を超えた楽、これを、大楽(マハースカー)と言います。
もう一つの仏国土は、時間を超えた未来にあります。それらは光輝く未来の仏国土、弥勒仏の世、新たな正法の世です。弥勒仏の境地を常に観想し、三世十方諸仏が悟られた阿耨多羅三藐三菩提、無上正等覚を禅定によってこの瞬間に体現することで、六道の事象全ては自我意識が投影された夢幻の世界であったことに気付きます。人々を煩悩に眠らせ耽らせる五濁悪世の働きが、それらは空しい事象であると見抜く智慧、世俗の虚妄の世界がどう生み出されているのかを見定める智慧、そして広大で高貴なる自性清浄心の空間にただ留まること、それが弥勒仏の境地です。その智慧の輝きは、外世界に遍満しており、内なる意識空間、ハートチャクラに光輝く仏性が広がっています。この気付きの瞬間が、弥勒の意識の顕現です。
地軸がいきなりゴロンとひっくり返って弥勒の世が到来したり、弥勒仏が天界から光の降臨と共に現れ今日から弥勒の世だと告げられる、そんなイメージを一般には持ちますが、それは映画の世界です。むしろ、弥勒の世とは、行者の意識の中に弥勒の意識が宿ったその瞬間、内なる弥勒の世が開け、新たな世界が立ち起こります。一人一人の弥勒の目覚め、その瞬間が弥勒の世です。私たちの存在の心の本質が、弥勒の意識であることに気付くこと、その瞬間が弥勒の世なのです。
現代はまさに、天と地と人のエネルギーの全てが乱れています。地震、水難、火災、台風と、地水火風のエネルギーバランスが乱れ、惑星的なレベルの大変化が起きている大変な時代に生きています。これは地球や太陽、他の惑星や銀河からのメッセージだとも受け取れます。天のエネルギーは、風と雨水を動かしています。天と地は連動していますので、大地も動き始めます。地震が起こるときは天体の運行と連動しています。また天地の激動が、衆生の精神、霊性にも働きかけています。
故に人々が、天と地に祈り働きかけることでバランスを保つことも可能だと信じています。自由の菩薩である私たちが弥勒の意識に目覚め、天地人のエネルギーバランスを整えることを、祈りと瞑想と行動を通して、神様仏様に神変加持を働きかけることが、現代を生き抜く為の重要な役割として、私たちにかかっているのです。
