オウム信者脱会カウンセリングー虚妄の霊を暴く仏教心理学の実践事例ー
第2章 オウム信者脱会カウンセリング活動より
オウム信者脱会カウンセリング活動への経緯
1995年3月、私は地下鉄サリン事件とオウム真理教への強制捜査を、ネパールのカトマンドゥ郊外、ボーダナートにあるウーギャン寺院に滞在していた時、偶然「ラジオ日本」で知った。1995年1月の第6回ブッダガヤ世界平和セレモニーの実行委員としての役割を無事に終え、師タルタン・トゥルクと共にエベレスト山麓にあるマラティカ窟にて旧暦新年の瞑想参篭を満願した、その後のことであった。
東京の地下鉄で、オウム真理教がサリンを散布し、十二人を殺害し、約五千三百人を負傷させた。「これは、日本で大変なことが起きている」と感じ、師に「すぐ、日本に帰らせてください」と願い日本に帰国した。それ以来、私はずっとオウム信者の脱会カウンセリングを行っている。
私の活動は、現役信者や脱会信者と直接会い、オウムの教義とチベット仏教本来の教えとを照らし合わせ、その違いを明らかにする脱会カウンセリングである。また、信者を子供に持つ親の相談も行ってきた。そして、オウム信者の脱会カウンセリングを進める中で得た様々な情報を警察、公安調査庁などの捜査機関へ情報提供、情勢分析、見立てなどの交流を持ってきた。今まで百人以上の信者と対話を深め、脱会届を書いてもらい、社会復帰を支援するという地道なボランティア活動を行ってきた。
私は、仏教を標榜するオウム真理教が引き起こした一連の事件を、日本仏教史におけるトラウマ的悲劇だと一仏教徒として憂いている。私自身がオウム真理教信者たちと同じ、80年代のニューエイジや精神世界を共に育ってきた同世代である。多くのオウム信者はオウムの教えをインド仏教以来の正統な教義だと信じ、真剣に「解脱」を求めてきた。彼らは麻原教祖を最終解脱者、最高のグルだと信じ、人類を救済したいと修行に励んできた。オウム事件の一番の不幸とは、導いた教祖とその教えに問題にあると、私は考える。私自身は、オウム信者との出会いを、カウンセラーという立場というよりはむしろ、仏法を真剣に語り合える仏縁として考えている。だから私は、一人でも多くのオウムの修行者たちと仏法を語ってきた。私は、一人でも多くのオウム信者に会って正法を語り合い、正しい仏道を自らの二本の足で道を歩んでほしいと願い、脱会カウンセリング活動を行っている。
一方、今、日本人自身が日本の精神文化とは何か、仏法とは何かを真剣に考え正さなければならない時代であるとも考えている。オウム問題は、親子問題、家族問題、社会問題など様々な日本の影の問題を含んでおり、日本人がじっくりと向き合わなければならないテーマである。
オウム信徒救済ネットワーク
オウム事件への強制捜査後1995年6月、オウム被害者の会(現在の名称はオウム真理教家族の会)、被害者対策弁護団、宗教者、心理学者、精神科医、教育者、カウンセラー達によって「オウム信徒救済ネットワーク」が発足し、オウム信者達に対してのマインドコントロールを解く救済活動として始まった。当時、刻一刻と情勢が変化してゆく中、情報交換や分析などを行い、オウム教団や現役信者への脱会への対応が話し合われた。
この「オウム信徒救済ネットワーク」は、後に日本脱カルト研究会(Japan De-Cult Council)という名称となり、2004年に日本脱カルト協会(JSCPR)(The Japan Society for Cult Prevention and Recovery)として、カルトやマインドコントロールの研究団体に発展している。現在、日本脱カルト協会は交流及びカルト予防策や社会復帰策等の研究とその成果を発展・普及させることを目的としており、相談事業は行ってはいない。
私は事件直後、この「オウム信徒救済ネットワーク」に加わり、弁護士や学者、牧師、僧侶たちとオウム信者の対応を行ってきた。1996年には、オウム信徒救済ネットワークとして共著「マインドコントロールからの解放」が発行された。その中でオウム教義の誤謬を仏教の戒定慧の視点から指摘した「第六章 仏教を語る教祖が迷えるブッダをかどわかす」が、オウム現役信者や脱会信者の中で注目され、そのコピーが拡散していったようだ。昼夜を問わず毎日のように多くの信者から面会、対話、カウンセリングを求める連絡が相次いだ。当時、地元の私立高校で講師をしていた私は、夕方に訪れた信者と面会した。また夜は遅くまで多くの信者と電話での対応を行った。
ある日、オウムのニューヨーク支部長から突然の電話があった。彼女は、「真剣に仏教を求めてオウム真理教に入信したので、もしもオウムの教えと本来の仏教の教えが違うならば、脱会したい」という意思を秘めていた。国際電話で仏教論を重ねる中、最後に彼女は脱会を決意した。その後、アメリカ議会のオウム真理教に対する公聴会において、彼女はガラス越しで証言に立った。
オウム真理教家族の会
オウム事件以前は「オウム真理教被害者の会」と称していた信者を子供に持つこの会は、オウム事件で加害者となった子供もいるために「オウム真理教家族の会」と名乗るようになった。
この家族の会は、現役信者の子供とコンタクトし脱会への道を模索する相互協力の会であるために、決してその存在をオープンにすることなく、密かに活動をしてきた。それは、現役信者の親が「家族の会」で活動していることをオウム教団に知られると、その信者はさらに監視され親と引き離されてしまうからだ。だからマスコミやメディアにも「家族の会」の会員の存在や情報を明らかにすることなく、活動を行ってきた。
マスコミやメディアへの表の顔としての対応は、会長の永岡弘行氏が行っている。永岡弘行氏は1989年「オウム真理教被害者の会」の設立以来、会長としてオウム真理教と戦ってきた。1995年1月、オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件の被害にあい、生死の境をさまよいながらも一命を取り留めた。永岡会長のオウム教団に対する一貫した姿勢は、家族の会の強い意思を世間に表明する重要な存在である。そして、「家族会」の顧問としては滝本太郎弁護士、小野毅弁護士が付き、多くの家族の相談に親身に対応いただき、またオウム教団の的確な情勢分析を「家族の会」に提示し、親や家族の支えてなっている。
「家族の会」は全国に幾つかの地域ブロックに分かれている。「家族の会」の実際の運営は「事務局」が行い、地域ブロックの調整や全ての相談の窓口としての重要な役割を果たしている。そして各地域ブロックには、主に統一教会などのカルトから脱会カウンセリング活動を行っているキリスト教の牧師たちが定期的に勉強会、相談会、また実際的な脱会カウンセリング活動を行い、家族を支えている。
しかし、「家族の会」と今だ家族を現役信者に持つ親は、表に出て意見を述べることもその存在をオウム教団に明らかにすることもできず、長い間ジレンマに陥ってきた。最近ではホームページを開設し、その活動や呼びかけを行っているが、設立から20年以上を経た今、多くの親は高齢となり「家族の会」の今後の活動の困難さも課題となっている。
私は、過去20年間に渡る脱会カウンセリング活動を通して、多くのオウム信者達の悩みや社会復帰への助言をしたり、教義的問題を語り合ってきた。それと同時に「オウム信者家族の会」での勉強会や相談会を通して、また個人的に家族や親の相談を受けてきた。特に未だ教団にいる現役信者の親の悩み、その対応など、脱会に向けた取り組みの相談や対話を重ねている。ある時は、キリスト教の牧師たちと共にチームを組み、脱会活動を行ってきた。脱会カウンセリング活動を通して、真剣にオウム問題に取り組む素晴らしい人格者の多くの牧師たちと宗教を超えて交流を持てたことは、私にとって貴重な経験だと感謝している。
特筆すべきは1995年のオウム事件直後から数年間、「オウム信者家族の会」の事務局を一手に引き受けていたA氏の存在である。オウム教団の強制捜査直後、A氏の弟が十数年ぶりに教団から自宅に逃げ戻り、家族の説得によって脱会へと迷うまでに至った。そして兄のA氏に手を引かれるように私と面会する機会を得た。対話を重ねる中で、オウムの教義の問題やチベット仏教との違いが明確になり、彼は脱会へと至った。このA氏の弟は元中堅幹部の立場から、教団内の彼の友人、知人、部下へと芋ずる式に声を掛け、当時オウム事件の真偽に心揺れる百人近くの現役信者との会話が始まった。
家族会の事務局であったA氏と同じく現役信者を弟に持つB氏と私の三人は、オウム信者の脱会活動を実行する私的なミーティングを頻繁に重ねていった。この活動は家族会にも公にすることなく、独自の活動として脱会信者から現役信者に呼びかけ、オウム教義の間違いと教団の反社会性を問い掛け、脱会へと導くという計画であった。この計画は「全て秘密裏に行い、決して表に出さない。公表することなく、ただ淡々と結果を出そう」と誓い合った。
当時のメディアには「オウム真理教を扱った番組は、簡単に視聴率が取れる」という「オウムの法則」が蔓延しており、あらゆるテレビ局や新聞、雑誌が取材を求めていた。しかし、メディアにこちらの脱会活動をオープンにすることで教団からの攻撃や妨害が予想されたため、私たちは一切メディアにこの活動を出すことなく、脱会活動に徹しようとした。当時、新幹線で東京から自宅に帰る時には、必ず私の待ち時間に東京駅でミーティングをしていたので、私たち三人は、これを「東京駅の誓い」と呼んでいた。
現役信者の家族は、オウム信者の親の苦悩を世間に分かってもらいたいが、一方で「家族の会」の活動を教団に知られたくないというジレンマを抱えている。脱会信者のプライバシーや社会復帰への支援には、メディア取材はオウム信者脱会への支障にも成り兼ねないからである。当時は、微罪逮捕で服役した教団大物幹部や信者を出所後に何人も脱会させたため、当時のオウム教団から狙われていたことも事実であった。オウム教団内での当時の幹部による説法会では、「林に会うな」「林は教団の敵である」と名指しで批判された内容のオウム幹部の説法テープを、脱会信者から手渡されたこともあった。
当時、現役信者に会って、「オウムの教えと仏教の教え、これほど違う」ということを、地道な脱会カウンセリング活動に専念していた事は、後々の脱会カウンセリングにも多くの良い結果としてつながっていった。「東京駅の誓い」は、私とA氏、B氏とのオウム信者脱会活動への真剣な誓いの証でもあった。
江川紹子氏は多くの現役信者脱会信者に対し、深い理解を示してくれていた。当時、多くのオウム信者にチベット仏教の話をするために一般の集会所や公民館を借りることは難しく、彼女が事務所を提供してくれた。時に信者20人ほどが江川事務所に集まり、脱会に揺れるオウム信者からヨーガや瞑想に関する疑問や質問攻めにあっていた。事務所を出て駅に行く道すがら、各々オウム信者をマークする公安警察が尾行する。「彼は私の担当です」「あの人は私の担当です」と、20人ほどの信者を数十人の私服公安警察が道の交差点や店の影から尾行する姿が、何とも不思議な異常な風景であったことを記憶する。
オウム信者脱会カウンセリング
ー虚妄の霊を暴く仏教心理学の実践事例ー
目次
はじめに
第1章 虚妄の霊
虚妄の霊 カルトマインドの深層心理
日本シャンバラ化計画 無差別大量殺戮計画
織田信長に憑依した欲界第六天魔王
オウム教団信者の情勢分析 黒魔術儀礼串刺し写真
「ヒト、モノ、カネ」のカルト
第2章 オウム信者脱会カウンセリング活動
オウム信者の脱会カウンセリング活動への経緯
オウム信徒救済ネットワーク
オウム真理教家族の会
カルト入信の罠に、たまたま偶然はない
親権による強制保護「救出カウンセリング」
信者のタイプ
親子関係 親の愛を知る
親が子を思う真実の愛とけじめ
オウム教義と反社会性の再検証から「ゆらぎ」へ
脱会 仏教カウンセリングという道標
受刑囚の脱会プロセス ダルマを語れる法友
参考資料 仮釈放要望の上申書
オウムを突き抜ける
脱会信者からの便り
願いはオウム教団が解散すること
オウム文化人を批判する 親の視点の欠如
思想家に愛があるのか
第3章 オウム教義を論駁する カルト教義から正法へ
カルトのマインドコントロール
マインドコントロールを解く鍵
二元論の罠
鏡の世界とその本質(二つの真理)
オウム教義の誤謬 「カルト理論の2:8の法則」
神秘体験と精神の物質主義
殺人肯定理論’ヴァジラヤーナ’の教え 教祖の戯論を見抜け
カルト教義から正法へ
虚妄の霊 オウム顔には何が憑いたのか?
オウム信者を審神者(さにわ)する
憑依から変容へのオウム的修行 変性意識
薬物イニシエーションによる神秘体験
奥深い心の告白 オウムを辞められない理由
「グルのクローン化」という麻原にはなにが「憑依」したのか
チベットのシュクデン信仰と「魔」
なぜ’麻原彰晃’はチベット仏教を語ったのか
「聖なる狂気」と持ち上げた 「智慧の欠如」
「集合的末那識」の投影 「虚妄の霊」
智慧の光明が「虚妄の霊」を晴らす
第4章 脱会カウンセリングのプロセス 真実の親の愛
家族の会の講演記録から オウム信者の帰る処
家族の会の講演記録から
脱会自立への3つのビジョン
短期のビジョン 「世間話」
コンタクト 「メール」「手紙」「携帯」
子供の姿を見る安心感
「親の愛」の方便 「世間話」が出来る
「ゆらぎ」は、自分で考えることの第一歩
中期のビジョン 脱会に向けて
「本音」で語り合う
子供の心と親の成長
親の精神的学びとは
妙法蓮華経第四信解品 放蕩息子のたとえ
仏教カウンセリングの可能性
オウムを突き抜ける求法の道
「脱会届」というイニシエーション
オウムからの卒業
二本の足で立つ 「精神的自立」「社会的自立」
着地点は「親離れ、子離れ」
第5章 虚妄の霊を生んだ闇の構造
オウムの暗闇を問題提起する
LSDと覚醒剤の宗教儀式「イニシエーション」
薬物イニシエーションの後遺症「神秘体験」
LSDの臨床実験データのゆくえ
狂気の妄想が「虚妄の霊」を生む
裏オウムと裏金 「虚妄の霊」が実存するのか
マスコミによる捜査撹乱 「国松長官狙撃事件」
メディア、捜査機関の役割 継続性の問題
オウムの闇の深層 「日本シャンバラ化計画」の全体像
一人オウム 自然脱会はない
虚妄の霊がゆく金剛地獄の道 松本智津夫の悪人正機
第6章 虚妄の霊を超える
カルト入信の罠に、たまたま偶然はない
親の愛の祈りと光が、虚妄の霊の暗闇を晴らす
着地点は「親離れ、子離れ」
道標としての脱会カウンセラーの存在
智慧という希望の光
あとがき