「チベット問題」を知ることから始めよう!

「チベット問題」を知ることから始めよう!

 チベットは1959年に中国共産軍の侵略を受け、ダライラマ以下約十万人のチベット人がインドへの亡命を余儀なくさせられました。それ以後、インドのダラムサラにはチベット亡命政府が設立され、また多くの亡命チベット人はインド、ネパールなど各地で亡命生活をしています。1950年の中国軍のチベット侵攻以降、虐殺、戦死、餓死など犠牲者120万人。11,500あった僧院の約9割が破壊。15万人いた僧侶は一時1500人にまで減少したと伝えられています。近年では政府の入植政策で一千万人以上の漢族がチベットに移住し、人口約六百万人のチベットの民族的独自性が危機に瀕しています。また森林の乱伐や核廃棄物の投棄による環境破壊も懸念されています。チベットの事実と現状を知ることは、チベット問題の核心を知ることなのです。

 今年3月、中国領チベットで起きた騒乱に対し、中国政府は武器を持って弾圧を加え、死者は数百人に上っています。自治区主席は、「軍は鎮圧に加わっていない」と語りましたが、武装警官だけではなく軍が関わっていた事実も報道されています。3月のチベット騒乱以来、国際機関とメディアを拒絶し、今もチベット内部では、警察と軍が一緒になり治安強化が行われています。

 今、最も危惧すべきことは、逮捕者や取り調べ拘束者に対してのリンチ、拷問です。今現在も数千人に及ぶチベット人が、リンチ、拷問、虐待などの、悲惨な状況が毎日のように報告されています。一刻も早く、国連などの人権機関や国際メディアによる調査、監督が必要です。チベットを密室にしてはいけません!
 この度のチベットでの出来事は偶発的なものではなく、半世紀にも及ぶ侵略の悲惨な「民族の虐殺」「宗教弾圧」の末に起こったチベット民族の叫び、断末魔なのです。

 私達日本人がチベット問題に対して、何も出来ないと考えるのは「間違い」です。「侵略の事実を知ること」これこそが、世界中の誰もができることです。チベットに眼を向け、事実を知ることから始まる新たなチベットの歴史があるはずです。「目の前の現実」を直視すること、それこそがみんなで作り出してゆける開かれた歴史なのだと信じています。

 ダライ・ラマは1989年以来「チベット独立」とは語らず、「高度な自治を」と現実的な展開を求めて、常に中国との対話を求めています。何よりも問題にすべきことは、本来歴史的に独立国であったチベットを中国が国際法上不法に占領していることなのです。ダライ・ラマはあえて「独立」よりも、外交と防衛を中国にゆだねてまでも、チベット民族独自の宗教的文化的な自由の確保と尊重を切に求めています。ダライ・ラマが本当に危惧することは、中国占領体制下で、お釈迦様の教えを失うことなのです。

 オリンピックは文化の祭典として世界中の人々が楽しむことができるイベントです。スポーツに政治が介入することは問題です。しかし、現在も中国共産政府がチベット民族に対して行っている虐殺、拷問、人権蹂躙を無視してまでも、平和の祭典というオリンピックが重要なのでしょうか? 平和のシンボルである聖火が、チベット民族に対する虐殺、拷問というトーチである事実を、国際社会が見て見ぬふりをして行う「平和の祭典」をはたして誰が楽しむことができるのでしょうか。オリンピックは人権尊重の場であるべきです。

 オリンピックが、真の「聖なる平和の祭典」として開催されることを希望します。ダライ・ラマも、オリンピックの成功を願っています。もしも、ダライ・ラマがオリンピック開会式に参加でき、世界中の眼が見守る中で各国首脳政治家が立ち会い、中国共産政府と亡命政府が直接話し合う場ができるならば、どんなに素晴らしいことでしょう。

 チベット人は、仏教徒としてお釈迦様の教えと精神を大切に守り伝えてきました。しかし今、チベットではその仏教精神文化の灯明と命が消されようとしています。今チベットの問題を、仏教徒の問題として真剣に考えることは大切なことです。対岸の火事ではないチベット問題は、私達、仏教徒自身の灯明の問題なのです。ブッダの精神である非暴力と慈悲を再考し、心ある平和な生き方を求めることが仏弟子の務めなのです。

ひだご坊 08/7/20

第12回飛騨高山の車座会議ダライラマ日本代表講演

エッセイ集
チベット仏教の今